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更新日 2017-03-06 | 作成日 2008-02-10

第1回 コラム



コラムを作るにあたり、躰道とは何かを自問自答してみた。現在の日本、いや世界全体を見ても不安定な状態である。そこで、私も自身の将来を考えながら躰道とは何かを考えたのである。

まず、新しい時代に必要なものは何かを考えてきた。実生活に必要なもの、不必要なもの、過度のものとは何か考えてきた。日本人がもっとも日本人らしい柔(じゅう)と律(りつ)、和(わ)を求めた場合、必要な事はおのずと現れた。相手との調和を元に展開される躰道は、まさに新時代の武道である事を再度認識したのである。過度な攻撃は、自制無くしては自らを破滅に導き、自我のない生活は、空虚である。必要なことは、外と内の調和である事が、躰道を学べば判かる。すべての攻撃は、相手との攻防の螺旋にあり、初めも終わりもない。そこには、新時代を生きるために必要な柔軟性や自己の制御能力、相手の行動を瞬時に読みとる洞察力を得る鍛錬の方法があるだけである。決して待つだけではない、無意味に動いているわけでもない。そこには、変幻自在の技を持ち相手の行動を極限まで見極める理性の動きが潜むのである。躰道は、一見体操の要素が前面に押し出されているように感じるが、それは逆である。身体を自在に操る必要があるからこそ、体操的な柔軟な動作を学ぶ必要があるのだ。武道として、身体能力を高めない限り、理性と協働する事は困難である。

時流にのった正しい行動力を得られなければ、新しい武道とは呼べない。基本は突きと蹴りにあるが、相手を制御するのに必ずしも必要な物ではない。ゆえに、躰道を学ぶという事は、柔軟な理性と判断力、卓越した運動能力・均整のとれた筋肉と実行力を得ると言う事であることを再認識したのである。

日本躰道協会 広報局長 岡本